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楽屋入りの話

初楽屋

見習いの修行が終わるといよいよ楽屋入りです。それまで半年間、師匠の家に居て毎日朝から晩まで掃除や雑用をこなしていて、辛かった自分があるのにいざ寄席に入る時は少し怖かったです。

師匠の家にやっと慣れてきて、立ち振る舞いが少しわかってきたところで、寄席に通えばまた一から始めなければいけないんだと先が遠く感じたのを覚えています。

好きで落語家になったのに何を考えてんだって思いますが、その時は率直にそう思っていました。

そんな気持ちとは裏腹に寄席通いは2007年10月1日から始まりました。

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当時の掛けぶれです。掛けぶれってのは、「あなたはこの場所に出ていますよ。」っていうお知らせで、これは今でも出番があると必ず来ます。今は高座に上がる時間も書いてありますが当時は前座なのでどこに入っているということだけ書いてありますね。

この紙は、出演者等番組に関しては一切書いてないので、下にメモしてありました。

僕の初の仕事としての寄席は小三治師匠がトリだったんですね。大体最初の一ヶ月くらいは見て覚えるという感じで、必死に楽屋仕事を覚えていたので、あまり記憶がありません。

腰紐

ただ、一つだけ覚えているのは寄席に入った二日目に小団治師匠が来てくださって、正絹の腰紐をくださったことです。その時も楽屋に直に来たわけではなく、寄席の入り口のところで楽屋に電話して、僕を下まで呼び出して渡してくれました。一前座にわざわざ楽屋に渡しに来たら周りがおかしな目で見るだろうと、気を遣ってくださったんだと思います。

わさび兄さん

初めて寄席に入ったこの時は立て前座が今は大変な売れっ子の柳家わさび兄さんだったことを記憶しています。わさび兄さんは、師匠の家に住み込みで修行という当時も今も稀有な修行をされておりました。

兄さんは当時からとにかく考えてんだ行動するタイプで、二つ目になっても他の人とは違う戦略で動いている方でした。

寄席に入ってもいつも枕から勝負していて、あの姿勢が今の兄さんを産んだんだと思います。最初は受け入れられなくても、やり続けてキャラを確立する。兄さんはそれが成功した良い例です。見た目と、ぽわっとした語り口に、ほっとけないあの雰囲気がミックスされて、何者にも変えがたい存在が出来上がったんだと思います。

最初の一ヶ月

話は横に入っちゃいましたが、そんな寄席通いが始まったわけですが。最初の一ヶ月は柳家の師匠ばかりでした。

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これを見るだけで懐かしいです。ここに出ている二つ目の交互の方はみんな真打になっていますし物故に入られた方も何人かいらっしゃいます。コンビ別れした方もいますw

ニューマリオネット先生は人形を操る芸ですが、この時はまだ夫婦でいらっしゃってた。そのあと奥様が体調を崩し、最後は旦那さんの寛先生一人でした。こういう芸が途絶えてしまうのは本当に寂しいですよね。落語は時代によって移って行くのでどんな師匠でもやっぱり新しいんですよね。

だけど色物の方のこういう芸は違うんです。その時代の色を残してお届けくださる。僕にとっては大正昭和の雰囲気を感じられる至福の時間でした。

かくして僕の前座としての寄席修行が始まったわけです。寄席は毎日通うのが当たり前ですが、しばらくすると脇の仕事(寄席以外の仕事)も入ってくる。次回はそんな寄席修行の中身の話を少ししたいと思います。